ノスタルジー

こんにちは🌝

もうずっと就寝時間が2時過ぎに固定されているのですが、脳の働きにかなり悪いので、頑張って娘と同じ12時半に寝て、家事やお仕事を明け方に持ってきたいのですが、気になって眠れなかったり(笑)するのでなかなかうまくいきません。明日はまた一軒保育園見学行ってきます。どうせもう四月入園は締め切ってあり、次は5月なので、今月は毎週どこかしら見学に行けたらと思っていますが、各園の行事なんかもありなかなかアポイントも取れないんですね〜。

 

話は飛びますが、夫がトルコに帰る前日、都城の施設に入っていた父方の叔母が亡くなりました。享年100才。都城でのお葬式に一家でいけるかと思いましたが、結構な距離ですので夫を夕方見送ってから、地元小林のお仏壇に向かいました。昔は私のイメージでは小林ー都城ー宮崎というやや直線的位置関係が出来ていたのですが、3市は三角の位置にあり、都城ー宮崎間が結構あることに自分で運転してみて気付いたという地理音痴です(−_−;)

 

小林に戻って父方の祖母(84才)と母とで話に花を咲かせ、娘も一緒に歩いておうどんを食べに行きまたそこで笑い、その戻り道、母の叔母の家に寄ってみようということになりました。どうもそこで祖母がウキウキそわそわ。私はその時初めて知ったのですが、その母の叔母(大正14年生まれ)は父方の祖父の小学校の先生だったそうです!!なんてご縁!

 

祖母はその母の叔母がそこに住んでいることは知らなかったようで、その距離感に喜び、久々にお会いできる今はなき旦那の小学校の先生に会えたとあって何だか少女のようでした。当時は戦争時代。小林もかなり大変な中にあったようです。叔母は17才で代用教員になったのだそうですが、ちゃんと祖父のフルネームまで覚えておられました。

 

二人の会話は一気に時代をその時に引き戻し、当時の17才の若い先生と小学生の祖父の話で盛り上がっていました。でもそのすぐ後に祖母の美容院の予約があるということで(笑)、短い時間だったのですが、良い場面に遭遇させていただいたなあと思いました。

 

母の周りは元気な叔母たちでいっぱいで、他にも色々母はお世話に行っていますが、また別の叔母(85才くらい)はお腹の手術をして退院の日に先生に「カーブスに行っていいですか?」と聞いていて、私は今40手前ですが、あと40年以上この方たちみたいに筋力体力脳力を保っている自信はないなあと思ったのでした(爆)。

 

今日もお読みいただきありがとうございました🎵

 

小林市PR youtube

外国語っぽい西諸弁youtube

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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