こんにちは。
マムルーク絨毯に関する情報が欲しくてAbeBooksで検索していたら The international Journal of Oriental Carpets and Textiles という情報誌を見つけました。
そのうちの 1981年発行のVol.4 No1号がマムルーク特集ということでそれをポチりました♪
この書籍を持つ古書店はパリにあり、後ほど支払い用のメールが来てオンライン決済して「払いましたよー。」とメールしておしまい。発送したという連絡はなかったのですが、気長に待つつもりが一週間くらいで届いてびっくりしました👏

お年40歳のこの書籍、とっても綺麗でまたびっくりです。古本独特の匂いもなく、しかもかなりのボリューム。全106ページの英語ですが、フランス語付録という小冊子もついていました。当時の欧米での絨毯人気&熱気を感じますね!
時間をみつけながらじっくりゆっくり読んでいきたいと思います。
今日はとりあえずパラっとめくった時にこの記事がでてきまして、、、、、

前期中国絨毯についてのノートというような半ページ記事に、日本の浮世絵がのっていました。
西村重長(1697-1756)のこの木板に描かれた女性の後ろにある絨毯について書かれていました。
日本には畳というものがあるので、絨毯を使用することは大変珍しいことで、それを証明する様にこの時代のどの浮世絵等にも絨毯は見られない。その点からも大変珍しい浮世絵であるが、この国外からの絨毯(中国段通)を入れることでこの絵にエキゾチックな効果をもたらすために入れたのではないだろうか。
また、描かれたこの絨毯は、構図からして3x3mほどの正方形でなかろうか。フリンジが見られないので方向はどちらかはわからない。
などなど、このほんの少しの面積の絨毯から柄まで推測して色々書いてありました。
そう言えば鍋島段通もフリンジが見られないですが、鍋島段通は江戸元禄年間(1688年~1704年)には佐賀で伝承されていたということですから、もしかしたらこの絨毯は中国段通ではなくて鍋島段通である可能性も全くないわけではない、、、かな、と思いますがいかがでしょうか?
面白いですね〜📚
ところで、私はこの絨毯のボーダーの雷紋を見て、小さい頃祖母がよく出前をとってくれたラーメン屋さんの器を思い出してお腹が空き、無性にラーメンが食べたくなったのでした😂
この雷紋、中国では紀元前700年~1,600年頃から見られ、魔除けや吉兆の意味合いがあるそうで、今まで全然知りませんでした。
そして、ギリシャの紀元前のものにも雷紋が見られますが、このギリシャ雷紋=メアンドロス柄については、現在のトルコのブユクメンデレス川がルーツなのだそうです!しかも水源はDinarディナール。絨毯収集の時によく通りますが、ラーメンの縁の模様からこんなところまで話がつながるとは思っても見ませんでした。
そしてこのブユクメンデレス川が海に出るところにブユクメンデレス国立公園があり、私、ここで何度か泳ぎました。


画像はgoogleからお借りしましたが、国立公園が半島になっており、半島の中にいくつもビーチがあって、かなりの遠浅でずーっととおくまで行けます。この半島のあるクシャダスは、世界をめぐるクルーズ船が停まるのですが、その港から車で30分くらいです。
山から猪が降りてきて人々の食べ物をもらったり、ゴミ箱あさりに来るのですが結構フレンドリーなので、みんな餌をあげ、わたしも同じように食べ物をあげて、猪親子と写真を撮りました。
豚を食べる国は猪を狩りますので日本で猪と戯れるなんてありえないのですが、トルコ人は豚を食べないので、猪狩りも少なく、猪の方もあまり人間を敵対視していない感じで現代的共存をしていました。
トルコはきちんと狼もいますし、日本の様に広葉樹を根こそぎ掘り起こして針葉樹を植えまくったなんてこともしていないので、山の動物のバランスは日本より遥かにとれているように思います。
なんだか話が逸れてしまいましたが、色々本当に奥が深いですね。
今日もお読みいただきありがとうございました♪